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【アラベスク】  第9章 蜜蜂



第2節 水と油 [6]




 なんとなく現場が見たいというツバサと、それなら俺もと便乗した聡に促され、瑠駆真は裏庭を案内した。途中の廊下で(つた)康煕(こうき)=コウと出くわし、成り行きで彼も同行。今はこの場に四人が居る。
 なんでこの二人とツバサが一緒に居るんだよ?
 などといったコウの嫉妬に気づくワケもなく、聡と瑠駆真の胸中は苛立ちと不安でいっぱい。
「あいつ、こんなところで緩と何やってたんだよ?」
 言いながら携帯を操作する。美鶴の番号。だが繋がるのは留守電。自宅の電話もやっぱり同じ。
 朝からリダイヤルしまくり。だがまったく繋がらない。
 居留守なのはわかっている。これじゃあ、せっかく番号がわかっても同じじゃねぇか。
 美鶴が故意に自分からの連絡を無視しているのだと、それはわかっている。美鶴はそれを隠そうともしていない。それが聡の苛立ちを誘う。
「くそっ!」
 当たり散らすように地面を蹴る聡を横目に、瑠駆真は無言で壁を見つめる。
 僕と小童谷陽翔との会話を、美鶴は聞いていたのだろうか? もし聞いていたのだとしたら、どこまで? どこから?
 美鶴は、僕が彼女に罵倒された時の事を、初めて会った中学生の時の事を覚えていない。
 それは哀しいが、同時に嬉しい。今となっては思い出してくれなくてもいいとすら思っている。聡のように共有できる過去を持ち合わせていないというのは不愉快だが、それでも、もはや忘れてくれてかまわない。
 今さら思い出して欲しいとも思わない過去。
 もし小童谷との会話を聞いていたのだとしたら? もし昔の、イジけた、みすぼらしい自分を美鶴が思い出してしまったとしたら、彼女は自分をどう思うのだろうか? 思い出さずとも、昔の自分がそのような存在であると知ったなら、美鶴はどう思うだろうか? どのような態度を取るだろうか?
 自分を哀れみながら遠巻きに見ていた同級生たち。エゴイストと瑠駆真を罵った過去の美鶴。
 美鶴はまた、僕を軽蔑するのだろうか?
 深い思いに落ち込んでいた瑠駆真を、聡の片手が強引に引き戻す。
「おいってば」
「あ」
 肩を揺らされて目を丸くする瑠駆真。
「何を考え込んでんだ?」
「あ、いや」
 問われて返事に困窮する。間違ってもこの男にだけは、自分の過去を曝け出すわけにはいかない。
「いや僕も、美鶴はここで何してたのかなって思ってさ」
 なんとか言い逃れ、知らぬ間に落ちていた視線を上げる。校舎の壁を見つめなおす。
「この壁に、突き飛ばしたのか」
「っんなの、嘘に決まってる。だいたい、当の緩はピンピンしてんだぜ。何かがあったとは思えない」
「じゃあ、何だってお前の義妹は、そんな嘘をついたんだ?」
 コウの言葉が辺りに沈黙が漂わせる。静寂を破ったのは瑠駆真。
「やっぱり、僕が?」
 僕がお茶会に出るか出ないかを巡ってこんな事に? でも、たかがお茶会一つで、こんな大事(おおごと)が起きるのか?
 廿楽(つづら)華恩(かのん)という生徒の思惑は見えた。だが、なぜそれを巡って金本(ゆら)があのような行動を起こすのか?
「わからない」
 右手を唇に添え視線を落す瑠駆真に、だが他の三人は複雑に息を吐く。
「わからないでもない… かな」
 最初に口を開いたのはツバサ。それにコウ、そして聡までもが頷いて見せる。
「え? なんで?」
 一人理解できない瑠駆真へ向かって、ツバサが少し笑った。それは少しだけ寂しそう。
「生徒会ってのは、絶対的な存在だからね」
「絶対的?」
「うん。普通の学校だったら、きっと生徒会ってのは選挙とかで公平に選ばれるんだろうけど、唐渓の場合はほとんど家柄とか親の影響力で決まるもんだから」
「え? そうなの?」
「うん。選挙も一応あるんだけどさ、現役員が自分の後継者を名指しして決めるんだ。だから現役員と仲の良い後輩、あるいは気に入られている後輩が次期役員につくわけ」
 そこで聡は小さく舌を打つ。
 緩は廿楽に気に入られている。気に入られようとしているから、候補者の一人ではあるのだろう。まだ一年生だから十月に交代する生徒会では役員にはなれないだろうが、その次の役員候補にはあがってくるのかもしれない。
 あんな捻くれた、高飛車な、傲慢で、それでいて陰湿な趣味の持ち主が生徒会役員の候補だなんて、この学校はいったいどうなってるんだ?
「山脇くんももう気付いてると思うけど、この学校って、生活環境や親の経済状況や家柄なんかがモノを言う学校でしょ。生徒会役員になれる生徒はそういう分野で恵まれた生徒で、その子たちに気に入られる生徒も、やっぱり同じような生徒だから、結果的に生徒会ってのは、生徒の間で発言力や影響力の大きな人の集まりになるってワケ」
「そして、そういった類の生徒たちは、やたらプライドも高い」
 嫌味のような聡の言葉に、ツバサは躊躇いながらも頷いてしまう。
「家柄なんかで張り合うのが当たり前って学校だから、生徒会の役員になった子たちは、自分の存在に絶対の自信と誇りを持っている。自分の意見が通らないなんて、考えたこともないと思う。考えたこともないし、そんなの許せないんだろうな」
 自分の存在に絶対の誇り。
 瑠駆真は、ぼんやりとその言葉を頭の中で反芻した。
 絶対の自信と誇り。そんなものが、本当に世の中に存在するのだろうか?
 常に自分への不安を拭い去れないでいる瑠駆真には、到底想像もできない。
 自分に対する、揺ぎない自信。







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